Life Impressions

日々遊んでるゲームの感想をちゃんとアーカイブ化したかったのでブログやってみます。ゲーム以外の感想も書くかも。

ポリコレ炎上してるラストオブアス2を自分でクリアしてみた感想

f:id:gl_game:20200628235544j:image

全編に渡ってネタバレしてるのでまだラストオブアス2をクリアしてない人は読まないでください。
あと無駄に長文です。

 

 

 

 

 

 

 

まず、端的に言うと壮大かつ壮絶な「愛」の話だった。

もちろん言うまでもなくジョエルからエリーへの、そしてエリーからジョエルへの愛。
道中が本当に陰惨で血みどろなのに(だからこそ)最後までたどり着いた末にこんな気持ちにさせられるとは。
でも本当に「感動」とかシンプルな言葉では言い表せない気持ちで、圧倒的に悲しくてつらいのに、決して絶望や空虚さではない手応えを感じられるエンディングだった。
似た様なテーマは映画や他のフィクションでも取り扱ってきたとは思うけど、ここまで痛切にそのテーマを伝えられるのはやっぱりラストオブアスがゲームだからなんだと思う。ゲームをプレイするというやり方でしか辿り着けないゴールに、自分が辿り着けてよかった。

 

ラストオブアス2を批判してる人もそうでない人もよく言ってる「復讐は何も産まない」というテーマについてはメインではなく、あくまでもエリーとジョエルの関係を圧倒的にリアリティをもって描いた結果、多くの人が感じてしまう副産物みたいなものだと自分は思った。そんなことはわざわざノーティードッグ(※開発会社)やニール(※開発者)が主張するまでもなく普遍的な真理なので。
このゲームではあれが正しいとかこれが間違ってるとかはっきり白黒つけて言い切る様なふるまいは徹底的に避けられてる。


ラストオブアス1について

ラストオブアス2の解釈が賛否両論に分かれる理由のひとつは、1の最後にジョエルがやったことへの解釈が分かれるからなんだと思う。
そしてその自由さを許したことが1の絶賛に繋がってるんだけど、この2への批判の多さを見ると、思ったよりジョエルがやったことのダークな部分から目を背ける人が多かったんだなと…。

1で最後にジョエルがやったこと、それは言うまでもなくエリー1人の命を守るために人類全体を救うワクチンの開発に尽力していた組織を壊滅に追い込んだこと。
「全人類を敵にまわす」とか、「エリーがいない天国よりエリーがいる地獄を選んだ」とか言うと、なんだかただ単にヒロイックにも聞こえるけど、本当に多くの人の命や努力や尊厳や希望を台無しにする行為で、しかもその救われる可能性を失った世界でエリーに生きることを本人の同意なく強要するというなかなかの鬼畜行為。

それでも
「ジョエルを一方的に非難できない」
「エリーが生きてて良かった」
とプレイヤーに思わせたところが1のすごいところだった。
そんなことをしてまで、ジョエルはエリーを生かしたかったっていう「そんなこと」の重さを理解すればこそ、1の結末は心を打つし、ジョエルというキャラクターの魅力が「強い」とか「渋い」とか単純なものではないとわかるし、そこから逃げずにジョエルから与えられたものを背負おうとした2でのエリーの苦しみが真に迫ってくる。

ジョエルの死

そしてラストオブアス2について話す時、この展開について触れない訳にはいかない。
自分もすっかり発売前はミスリードのトレーラーに乗せられていたので、ディーナやコミュニティの多くの人が死んで、その復讐の旅にエリーとジョエルが二人で行く話だと思ってた。
でも、2の物語のどこかでジョエルは1でやったことと向き合うことになるとは思ってたので「こんなに早く?!」とは思ったけど殺されたことについて驚きはなかった。
ジョエルにとって、数時間の拷問の末に撲殺されることよりもっと残酷な罰は「また守ることに失敗してエリーが自分より先に死ぬこと」なので、その展開じゃなかっただけいいと思う。
(※もしその展開だったらさすがに自分も「鬱過ぎて2は駄作」「作らない方がよかった」という意見になってたかも)
そしてあそこでジョエルが殺されずにジャクソンでの平和な日常が続いてたら、エリーはその欺瞞に耐えきれずに自分の身をあえて危険に晒すような行動をとってしまい、その最悪の展開になる可能性が高かった筈。(冒頭のジャクソンでのエリーは大人っぽくなったと言ってしまえばそれまでだけど、1でのエリーより暗く沈んでて全てに対して上の空の様に感じられる)

こんな風に書いてると「ジョエルは死んで当然のクソキャラ」みたいに貶してると勘違いする人も出てくるかもしれないけど、全くそういう話ではなく、自分で1でジョエルをずっと操作してきてある程度感情移入してたからこそ、この事態に少し覚悟ができてたってことなんだと思う。

 

序盤のふわふわ感

もちろん心のどこかで死を覚悟してたのはあくまでジョエル目線の話でエリーにとってはたまったもんじゃない。
エリーはすぐさま復讐の旅に出発するんだけど、自分にとってはこの序盤の辺りが一番感情移入できなくてやってて不安でつらかった。
エリーほど聡明な人ならジョエルが殺される程の恨みを買ってることはわかってるだろうに激しい怒りの表明しかしないし、そういう勢いで飛び出したわりにはシアトルのダウンタウンでは結構ディーナとまったり過ごしてる。(ここはセミオープンワールドになってるのでゲーム的にも回り道が推奨されてる)(馬に乗って女二人廃墟巡りの旅っていう部分単体では雰囲気最高だけど…)
特に自分がドン引きしたのはトミーが敵に追われている情報が入ってきたのにそれを無視してアビーのいる場所へ向かおうとしたところ。トミーは今エリーの周りにいる人の中で唯一ジョエルのやったことを理解してる人で、ジョエルを失った痛みを一番深く共有できる相手なのにその人が敵に追いつめられてても助けないなんて…。

でもこの時点では自分はエリーがジョエルに抱いてる感情の複雑さと強さを理解できてなかったんだと思う。あとエリーが14~5才から19才?になってたことのギャップを埋めるのにも時間がかかった。

エリーが本当に手の震えが抑えられない程怒ってる対象はアビー達じゃなくて、わかり合っていく筈だった途中で急に死んでしまったジョエルだし、更にそれを阻止できなかったエリー自身ってのは最後までやってやっと実感としてわかった。(もちろんその事態を引き起こした犯人のアビー達にも間違いなく怒ってはいるけど)


で、とにかく理屈の上で動いてるんではなく、壮絶な喪失によって自分がバラバラに崩壊しない様に必死な状態だから態度が一貫してないと感じられるんだと思った。

感情移入できないのになんで操作させられてるんだろうって違和感が一番高まったのはノラ(名前合ってるか微妙だけど、アビーの仲間の一人でエリーに追われて胞子を吸ってしまった人)を惨殺するシーンで、一撃ごとに□ボタンを押すことを強要されて「なんなんだこれは」となった。
ここは「プレイヤーと操作キャラがシンクロすればする程良い」という既存のゲームのロジックを逆手にとって暴力への拒否感を高める演出でもあるとは思うんだけど、それだけだとあまりに薄っぺらくてそれとは別に、(最後までやってみて今考えると)エリーも別にやりたくてやってる訳じゃない、精神がバラバラになってるから心と体の動きもバラバラになっている、という状態を疑似体験させられているという面もあるのかと思った。
(そういえばせっかく日記っていう仕掛けもあるのに、日記にさえエリーは自分の心の底をそのまま言葉にすることはないんだよな。まあ実際の日記もそういうものだと思う。自分を常に客観視して的確な文章を書ける人はそうそういない)

 

アビー編

そして世界中がブーイングのアビー編へ。
上で書いた様に自分にはアビーへの強い怒りや拒否感もないけど、かといって強い興味もなかった。
手術室で殺した医者の娘ってのも「ああ、あの人ね…!」とは思うけどファイアフライの残党って意味では、意外性も何もない。(ただ、何回もあの手術室に向かう廊下を走らされる演出はすごく好きだった。ジョエルにとっても印象的なあの廊下。エリーも真相究明のためにあの場所に行く)

(余談だけど自分は1のあの場面で、どうにかことを穏便に済ませられないかと試行錯誤して試しに弓で足の甲をちょっとだけ攻撃してみる等の行動を試してみたけど、足の先っちょに弓がヒットしただけで医者はへにょっと倒れて死んでしまった…アビー!お前の父親弱過ぎ!)

で、ここがラストオブアスらしさだと思うんだけど、あっと驚く様な展開を用意して「それならアビーがああいう行動をとるのも仕方ない」って思わせたり、アビーを完全無欠の善人に描いて(またはもっとしおらしいキャラにして)、簡単に同情を誘ったりはしない。

ただただ、アビーがどう過ごしてたかってことをアビーをプレイさせることで体験させる。自分はアビーに興味がないなんて言いながら、結局レブと一緒にヤーラのための医療器具を取りに行く道中で高層ビルの上を(ほぼ実質)綱渡りさせられる辺りで、プレイに熱中して知らないうちにアビーとシンクロしてしまった。
こういう訳でアビーは悪くないんですって理屈を説明する「話」にするんではなく、ゲームという手法を生かして驚異的なロケーションを用意してプレイに集中させることで敵側にいる人物とシンクロさせる。こんな力業な親近感の湧かせ方があるんだと、このやり方はめちゃくちゃうまいなと思った。
この辺を「ラスアス2は『敵を憎んではいけません・争いはいけません』というわかりきった説教を自分に押し付けるゲームなんだ」と思い込んで穿った見方しかできなくなってしまった人は素直に受け取れてなくて損してると思う。
あとアビーがフェミニストにとってのメアリー・スー(「わたしが考えた最強の女キャラ」的な揶揄)だって言ってる人もいるけどあんな色々と欠点のあるキャラのどこが?というか、メアリー・スーって言葉覚えたてで使いたいだけなのでは…??爽やか二股男のオーウェンに乙女顔で振り回されるキャラがフェミニストの理想…??

あとアビー編の役割として、前半のエリー編でも垣間見えてたWLFとセラファイトの争いの最悪の展開(アビー編終盤での炎上する島から脱出する辺り)を目撃するって部分もある。
これは自分は「ジョエルが選んだ世界」を目撃させられてるんだと思った。
WLFとセラファイトの争いはジョエルとエリーに関係なく起きてることの様にも思うけど、やっぱりワクチンの開発が進んでれば世界中にあるこういった組織の小競り合いは解決できる部分があった筈で、ワクチンができたらできたでそれも争いを生むでしょってのは正論なんだけど、だからといって世界が立ち直るきっかけになるかもしれなかった芽を摘んだジョエルの罪が消える訳ではなく、ジョエルという存在を理解するために避けられない描写だったと思う。
唯一癒しだったエリーとジョエルの過去パート(ちなみに自分はそこやっててずっと泣いてた)もサービスシーンかと思いきや毎回「ファイアフライの嘘つき」とかそういう過去の行いからは逃げられないよオチだったし。

とりあえずそんな壮絶な展開の中で、仇を殺しても全く消えることのなかった「父親を殺されてしまった」というトラウマを、代わりの誰かを救うことでどうにか癒そうとしてるアビーの切実さを自分も理解し始めてた。(だってそれは細かいこと抜きにすればジョエルとやってることが同じだし)
まあそんなこと必死にやってる間にオーウェンたちがエリーに皆殺しにされちゃってんだからそりゃ吐くわって話ですけど…。

 

そしてなぜかアビー視点のまま始まるエリーVSアビーの一騎討ち!!
こっちは武器持ってないのに遠慮なくショットガンを撃ち放ち、罵りの言葉をぶつけてくるエリー。ここで何度エリーに顔面蜂の巣にされたか…。
更になんで自分が頑張ってプレイした結果としてエリーが顔面ボコボコにされなきゃいけないのか…。

 

農場~最終盤

呆然自失のまま、気付いたら自分(エリー)は農場から壮大な夕焼けを眺めていた…。何を言ってるかわからねえと思うが、夕焼けの美しさや、よいこのおいもちゃんの癒し効果はガチだったので考えることをやめて無心で子羊を追っかけてたら、不意打ちで………
…あれはアメリカで訴訟とか起こるレベルなのでは?このゲームにはPTSDの疑似体験が含まれますって注意書きしておかなくて大丈夫??
ジョエルが死んだことには驚きがないとか言ってすみませんでした…目の前でジョエルの死を目撃したエリーの気持ちに自分は全然追い付いてませんでした………
ここでやっと自分は「ああ、アビーを憎んでるとかどうとか、そんな次元じゃないよね」とわかった。

あとトミーおじさん生きてたぁああぁあ!!よかった!!完全に死んだと思ったので…ってなったけどトミーおじさんは本当に辛いね。
考えてみればトミーおじさんは一番最初の殺人をジョエルのためにしてるし、ジョエルのとてつもない罪の告白を受け止めて気持ちを共有してあげてるし、この人もこの人でジョエルに非人道的な守られ方をしてた時期もあったみたいで、ジョエルへの気持ちは一言で言い表せないくらい複雑なんだろう…
ここでディーナもマリアもちょっと冷たくない?ってなるけど、この世界では「死んだ人のことでずっとグチグチ言ってる」ってのは今の自分達が過ごす世界で考えるよりずっとよろしくない行為なんだと思う。

そしてもうぱっと見でわかる程の心身ともにボロボロの状態で(途中で腹に穴まで開けて)、もうそうする以外の生き方がわからなくてエリーはアビーを追う。

 

最後の最後でなんでエリーはアビーを殺さなかったのか?

なんであの瞬間にやっとジョエルとの「許せないけど、許したいと思ってる」という会話を思い出したのか?自分はそれをこういう訳なんですってはっきり言葉で説明できない。でも、納得はした。
また周回すればもっと気付くこともあって説明もできるかもしれない。アビーとレブの関係にかつてのジョエルと自分を感じたからとか、そういうのもあるけどそれだけじゃ弱過ぎるし…。
ただ、理屈が追い付いてないのに納得させる描写があのシーンにはあった。エリーのあの泣き顔…グラフィックの進化ってこういうことかと思った。

 

そして改めて、もぬけの殻となった農場で弾けなくなったギターを弾いて、最後の夜の会話を思い出す。

「もしも神様がもう一度チャンスをくれたとしても俺はきっと同じことをする。」

「一生そのことは許せないと思う。でも、許したいとは思ってる。」

この二人の関係の全てがつまった会話をエリーとジョエルは最後の夜にすでにしてたんだってプレイヤーはこのタイミングで知る。
それはエリーがその時言った「許したい」って言葉の壮絶さに辿り着いたのが、このタイミングだからなんだと思う。

 

このストーリーを終えて、改めてエリーが途中で弾き語りしたa-haの「Take On Me」を思い返してうわっとなる。
「僕を受け止めて」
エリーは過ちごとジョエルを受け止めて、それはエリーがエリー自身を受け止めることでもあって、更には世界をあるがままに受け止めることにも繋がってるんだなと自分は思った。

 

結果的にジョエルは死んで、エリーはほとんど全てを失った状態で、この話があまりにも陰鬱で爽快感がないから嫌い、求めてないっていう人がいるのはわかる。
でもエリーとジョエルというキャラや、ラストオブアス1の内容を否定したり貶してるストーリーだって言ってる人は何を見てたのか?そういうことを言う人達ほどエリーとジョエルから逃げてるんじゃないのか?って激しく疑問に思う。

こんなにも、あの完全だったラストオブアス1と正面から向き合って、エリーとジョエルというキャラを安易に理想化せずに掘り下げに掘り下げたPart2を完成させた開発者の、キャラクターへの壮絶な愛にも驚嘆する。

 

前書いた記事でポリコレ云々でいちいち反感持ってしまう人はラスアス2向いてないのでは?って書いたけど、本当はそういう人にもやってほしい。

でも、言ってもただのゲームだし誰にも強要することはできないけど、自分はラストオブアスから確実になにかを受け止めた。そうすることができて良かった。